老後のために貯蓄!と教わった私たち

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就職はゴールじゃなかった

あらためまして、高倉ルリ子と申します。1962年2月生まれ。

私はいわゆる「普通の会社員」をしておりますが、
34年前の女子の就職活動はけっこう大変でした。

あの頃はまだ「雇用機会均等法」施行前。
女子は「お茶くみとコピー取り」をしながら過ごし、
数年後には「寿退職」するのが常識。

それに疑問を持つ人も少なかった時代でした。

「女性も社会進出を」
「専門を活かしてやりがいを」

などという理想はおろか、
長く勤められそうなところを探すだけでも精一杯。

なんとなく「結婚」に自信がなかった私は、

とにかく早々に辞めなくてもすみそうなところ
=実際に中年の女性職員もちらほらいるようなところを
ひたすら探し、

なんとか今の会社に潜り込むことができました。

内定をもらった時は、
「これで当分は安泰かな」
と胸をなで下ろしたものです。

しかし、何年か勤めるうちに、
「いつまでこの会社にいられるのかなあ」
「30歳までに結婚して退職できるんだろうか」

と不安が募るようになりました。

ひたすら貯蓄に励んだ日々

就職したばかりの頃、

母に「給料、どのくらい家計に入れたらいいかな」と
たずねたことがあります。

答えは、

「家に入れなくてもいい。その分自分で生きていけるように
しっかり貯めなさい。」

ありがたいことでした。

戦中派の母は

「人生何が起こるかわからない」
「国も家族もアテにならない。頼れるのは自分だけ

というのが口癖でした。

そんな親心を無にしてはいけない。

 

家計に入れようと思っていた分は
給料から天引きされる「財形貯蓄」にしよう。

最初から引いておかないと、あるだけ使ってしまう…

 

私は覚悟を決めて、
ちょっとムリかもしれないと思うぐらいの金額を
最初から貯蓄に回すことにしました。

 

これは、頑張ったかいがありました。

当時は「マル優」という制度があって
よほどのお金持ちでない限り
利息は非課税でしたし、
とにかく金利が高かったんですね。

財形貯蓄だけでもけっこう増えていったのです。

気を良くした私は、他の金融商品にも挑戦。
「養老保険」も財テクに使えることを知り、早速加入。

金利は何と7%!
5年で100万円が140万円になりました。

5年という歳月はかかったものの、
何もしないで「40万円」というお金が
手に入ったことになります。

当時の手取りの2倍の額です。

「おー、すごい、金融商品を賢く選んでいけば、定年後もなんとかなる」

 

その後、バブル時代に入り、

新人の初任給は自分の給料より高くなり、
外資系に転職した同期は私の倍の給料をもらっていました。

自分の給料の一ヶ月分を超える値段のスーツが
平気でデパートに並んでいました。

それでも「安定」が一番と信じていた私は、

ボディコンのワンピースも
海外旅行も

ぐっと我慢して、
ひたすら貯蓄に励んでいました。

月数万円天引きすれば
65歳から10年間毎月10万円もらえる、

という年金保険にも加入しました。

 

これなら、親戚のおばちゃんのように、
退職後はアパート経営でもやって、
家賃収入だけで生きていけるかもしれない、

株もやったらもっと増やせるかな、、、

 

案の定、就職後何年経っても
お金持ちの結婚相手はみつからず、

一緒に暮らしはじめたのは
自分が食べるだけで精一杯の自由業の人でした。

自分一人でも生きていける仕事。
何かあっても数年は暮らせる貯蓄。

一人で生きていく術を忠告してくれた母に
それまで以上に感謝するようになりました。

 

しかし。

貯蓄=安心

それが、どんなに甘い考えだったのか

思い知らされる時がやって来たのでした。

続く。

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ブログ管理人プロフィール

1962年早生まれ。典型的な昭和世代の青春時代を過ごし、思い出を発掘している50代。
バブル時代をクソまじめに過ごしたにも関わらず、
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