BCL プレゼント押しだった北京放送

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北京放送の受信報告書を書いた日のことはよく覚えています。毛沢東主席逝去の報を聞き、今日はやっぱり北京放送だよなー、と放送内容をメモしながら一生懸命聞きました。細かいことは覚えていませんが、やっぱりすごい人物だったんだ、と素直に感動し、そのことを書いた手紙を添えて受信報告書を出したことは今でも忘れていません。

で、送られてきたのが、こちらの受信報告書と

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パンダの切り絵でした。

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切り絵が送られてくるなんて、当時は全然知らなかったので、「やっぱりお手紙を書いたからかしら」と随分感動したものです。まあ、今調べてみると、全員に送られてたみたいですが(^_^;

それから年末になるとカレンダーが送られてきました。さすがにこのカレンダーはもうどこにも残っていないようで、ネットの検索では出てきませんでした。イメージとしてはこんな感じの絵が満載のカレンダーでした。どれを見ても、夕陽に照らされて赤くなっているという。

この写真のような超リアルな画風が珍しくて、よく眺めていましたが、これっていわゆるプロパガンダ・ポスターですよね。

受信報告書を送ったのは、後にも先にも毛沢東氏逝去の時の一通だけです。その翌年もカレンダーが送られてきたことに、最初は後ろめたい思いがありました。でもその翌年もカレンダーが送られてきて、もうそのときは私も高校生になっていたし、何よりも母が「あーあ、ここの住所、あちらさんの記録に残っちゃってるよねえ」と嘆いていたので、さすがに怖くなり、全部処分してしまいました。今思うともったいないことをしたと思いますけどねえ。

そして4年後、カレンダーは送られてこなくなりました。さすがに受信報告書一回だけじゃなあ、もう送ってこないだろう、とそのことは忘れてしまいましたが、後で調べてみると、送られてこなくなったのは、1979年、鄧小平政権になってからなんですね。あの毛沢東氏満載のカレンダー自体がなくなったしまったんでしょう。

BCLブームに浮かれ、何の疑いもなく北京に自分の住所を書いた手紙を出したあの頃。なんと無邪気だったことか。

いや、共産党がどういうものか、知らなかったわけではないんですね。共産主義の国にとって、海外向け放送は重要な国家宣伝用ツールだった、ということも知識としてはあったんです。

BCLの雑誌には平壌放送の紹介も載っていて、送られてくるプレゼントが一番多い、みたいなことが書いてあり、朝鮮半島の民芸品の太鼓が送られてきた、とか、労働新聞が毎日届くようになる、なんて情報もありました。これはさすがにヤバイんじゃないか、と思い、受信報告書を送ることはありませんでしたが、思いとどまって本当によかったと思います。

しかし。

北京放送に懲りず、モスクワ放送にも受信報告書を出してしまったおバカな私。そのお話しは別の記事にて。

【参考文献】

なつかしBCL大全 (三才ムックvol.859) ムック

★ブログ管理人プロフィール★

1962年早生まれ。典型的な昭和世代の青春時代を過ごし、思い出を発掘している50代。
バブル時代をクソまじめに過ごしたにも関わらず、
定年を前にして老後の生活資金に悩む女子事務員の奮戦記はこちら。

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