BCL 人生初の海外体験
子供の頃、風邪で学校を休んだ日は、ラジオが友達でした。お年玉を貯めて買ったラジカセを枕元に置いて、TBSをつけっぱなしでしたね。
午前中は毒蝮のミュージックプレゼント。「このクソばばぁ!」なんて言うのにバカ笑いしたりして、けっこう楽しみにしてました。午後はキンキン・ケンケンの「それ行け歌謡曲!」です。
午後4時過ぎあたりで交通情報やニュースが多くなってくるので、ラジオ関東に切り換え、歌謡ベストテンを聞き、意味も無くベスト10をお気に入りのメモ帳に書き取ってました。かかる曲は全部最後まで歌えたという幸せな時代でした。
お気に入りの番組は多かったのですが、それでも、「人生相談」とか、飽きちゃう時間はけっこうありました。で、他の放送はないかなあと思い、ラジオのダイヤルを回すと、ピピー、ザザーっていう雑音に混じって、いろんな音が聞こえてくるわけですよ。
TBSからNHK方面にさかのぼっていくと、英語が!
おかあさーん、英語が聞こえる!なにこれ?
びっくりしましたね〜。
「あー、進駐軍放送、まだやってるんだねえ。なつかしいねえ」
へえ、アメリカ軍の放送なんだ、すごいなあ。
バンドを切り換えて、FMでも実験。FMは雑音は入らないので、あー、これはNHKとFM東京しかないんだな、でもちょっとさかのぼってみようかな、と周波数を減らしていくと…
「サリーちゃん!」
というよっちゃんのダミ声が!
え? まぼろし? ラジオこわれちゃった? おとなりのテレビを受信してる?
いやいや、落ち着け。テレビをつけてみよう… おおお、ラジオって、テレビの音、聞けるのね!
その頃はまだ「テレビが聞けるラジオ」なんて出る前だったので、FMの受信域は狭く、聞けたのは10チャンネルと12チャンネルだけでしたが、もう大発見をした気分でした。
調子にのってAMでもゆっくりダイヤルを回してみると、入る入る、「ソ連共産党の発表によりますと…」なんてちょっとこわい感じのやつも入る。
この時はじめて、ラジオというのは、新聞の番組表に載っていない放送も受信できるのだ、ということを知ったのです。
これが、FEN(現AFN、American Forces Radio)や海外放送を聴き始めるきっかけとなり、BCL – Broadcast Listeningへの入り口となりました。
自分が持っていたナショナルのラジカセがたまたま3バンドで短波も入り、しかも当時の自宅は周囲が畑に囲まれていて、電波状態がものすごくよかった、というのも今考えると運が良かったと思います。
値段は3万円台、ワイヤレスマイクがついていた、買ったのは1973年、という記憶を元に調べてみたところ、私が持っていたのは、多分これです。
ナショナル RQ-448
数年後、世の中はBCLブームとなり、BCLについての解説記事も学習誌等に載るようになりました。その記事を読み、日本だけでなく海外の放送も受信できる、しかも、受信報告書というのを送ればカラーの絵はがきももらえるらしいぞ!という情報を得て、もうワクワクの毎日がはじまったのです。
エアーメールの封筒ってどこで買えるのかな、国際返信用切手って、近所の郵便局でも買えるんだろうか、そもそも本当に絵はがきもらえるのかなー。
心配はつきません。電波の受信、そして、海外へのお手紙。生まれてはじめての海外体験です。本当は絵はがきがもらえる懸賞じゃなくて(^_^; 受信報告書を受領した証明としてVerification Card=ベリカードが発行される、というちゃんとした制度なんだ、ということを知ったのはもうちょっと後の事でした。
まずは海外の日本語放送からはじめ、ネタがつきると日本の中波に。ゲットしたベリカードはファイル一杯になりました。
でも、でも、、、ああああ、なんでそのファイルを処分してしまったんでしょうか!!! 15年ぐらい前、父の介護が始まり、実家をバリアフリーにリフォームしたときに倉庫や押し入れのものはすべて廃棄。今思うと、写真くらい撮っておけばよかったと、悔やんでも悔やみきれません。
それでも、ベリカードを送ってもらった各放送局には、それぞれの思い出が残っています。忘れてしまわないうちに、一つずつ書き綴っていきたいと思います。