子供の科学 – 紙飛行機とラジオ製作の思い出
私が小学校4年生ぐらいのとき,父が「子供の科学」を毎号家に持ってきてくれました。会社でもらってきていたらしいんですが,父が勤めていたのは写真現像用品などを扱う会社だったので,その関連性はいまだにわかりません。広告でも出していたのかなあ。でも卸会社だったので,直接広告を出稿していたとも思えないし。
それはともかく,「子供の科学」,毎号,ほんとに楽しみでした。どっちかというと男子向けの学習誌だとは思うのですが,私はなぜか「実験」とか「組み立て工作」とか「生き物観察」が大好きで,こういう学習誌のおたのしみ度は,少女漫画に夢中になる気持ちと何ら変わらないものでした。
なんといっても楽しみだったのは,付録の紙飛行機でしたね。厚紙が本に綴じ込みになっていて,切り抜けば飛行機ができるようになっていました。
こういうのは一人じゃつまんない。「子供の科学」を学校に持っていこう!
すると、私はたちまち男子にわーっと囲まれて、クラスの人気者に…(笑) いや,べつにねらったわけじゃないですよー。4年生ぐらいじゃそんな意識ありませんわな。
みんなそんなに読みたいんだったら,うちに積んでおくのはもったいないと思い,先生に頼んで教室の後ろのロッカーにバックナンバーを置かせてもらいました。紙飛行機,切り抜いてもいいよ! でも,早い者勝ちね!ということで,放課後みんなで一生懸命作って,どうやったら安定して長い時間飛ばすことができるか,随分研究しましたね。
そして,そのうち,「これ,貸してもらって,うちに持って帰ってもいいかな」という子が現れたので,「いいよ~」とお返事、そしてそのまま忘れていたのですが,ある日,その子がなんと「ラジオ」を持ってきたのです。
「これ,『子供の科学』を見て自分で作ったんだ」
えーーーー!
すごい,ラジオって,自分で作れるんだ!
もう,みんな興味津々です。
「部品はどこで買ったの?」
「おこづかい,足りた?」
「ハンダごて使うんだ,すごいねー!」
周波数ダイヤルもついていて,イヤホンもあります。当時のことですから,おじいちゃんの補聴器みたいなやつでした。
「子供の科学」の記事には、たしか2石とか3石とかって書いてあった記憶があります。それが何なんだか未だにわかりませんが(^_^; 電池が入っていたので、トランジスタラジオだったんだと思います。
「うわー,聞こえるの? すごいねー!」
という私に対して,その子は終始バツが悪そうにしています。どうしたんだろう?
「じ,じつは」
「声とか,あんまり聞こえないんだ」
「でもさー,ザザザーって音するよ。ちゃんとラジオだね!」
「…」
おかしいな,ラジオ自慢するのに持ってきたんじゃないのかな。なんだか嬉しくなさそうだぞ。
「じ,じつは」
「これ,ありがとう。でね,このページにね」
「ハンダたらしちゃって,汚しちゃったんだ。本当にごめんね。」
「はじめてだったから,うまくいかなくて」
うわー,なんだ,そんなこと気にしてて,「ラジオだぞ,うわー!」ってならなかったのかー。
「いいよいいよ,だって,ラジオ作ったんだよ!それにこのページだって,全然だいじょぶじゃん」
本当に,銀色のものがぽちょっと染みついているだけで,字は読めるし,全く問題なかったんですね。でも彼はすごく気にしちゃって,せっかくのラジオの完成が台無しになってしまった感じです。
「また作る。子供の科学,今度は自分で買うよ」
よっぽどこたえたんですねえ。
その後も彼はラジオを作っては学校に持ってきました。私は,よかれと思って人に貸してあげるのも,いいことばかりじゃないんだということを学びました。
「ラジオ」は私にとって、大事な宝物だったし、大好きな友達のようなものでした。子供の頃は扁桃腺炎がクセになっていて、喉が腫れると何日も学校を休んでいたのですが、そんなとき気を紛らわしてくれたのがラジオでした。また、深夜放送を聞いていた兄の影響で聞き始めた様々な番組は、自分にとっては大人への入り口のように思えました。
自分の生活の中で大きな位置を占める、最先端の機械を、小学校の同級生が作ってしまったんですから、衝撃ですよねえ。そして、その「作り方」が書いてあった「子供の科学」も、その日からさらに「大いに尊敬する雑誌」となりました。
関東大震災の翌年創刊という「子供の科学」。創刊から90年以上経ちました。実験の模様は動画で掲載されるようになり、雑誌本体もタブレットで読む時代になっています。形はどんどん変わっていくと思いますが、いつまでも、いつまでも続いていってほしいと願っています。
現在の「子供の科学」
紙飛行機、まだ現役なんですね(^_^)
応援クリック↑
お願いいたしますm(__)m