小林克也氏の百万人の英語を聴けるところを見つけました
百万人の英語って? 昭和時代に高校生活を送った方にはなつかしい英教の「百万人の英語」。 文化放送やラジオ短波で放送されていました。 なんといっても楽しみだったのは、小林克也氏の洋楽解説コーナー。 軽快なおしゃべりと、
続きを読む百万人の英語って? 昭和時代に高校生活を送った方にはなつかしい英教の「百万人の英語」。 文化放送やラジオ短波で放送されていました。 なんといっても楽しみだったのは、小林克也氏の洋楽解説コーナー。 軽快なおしゃべりと、
続きを読むベリカード、というと何と言っても有名だったのが、ラジオ・オーストラリアのカンガルーやつですよね。私もこれがどうしても欲しかったのですが、手に入れるのはとても大変でした。 1970年代の中頃、空前のBCLブームが起こり
続きを読む前回は北京放送からいろいろ送られてきてコワくなったお話を書きましたが、今回は、さらにヤバかったモスクワ放送のお話です。 共産圏の国はコワい、という感覚が根付いていた昭和のあの頃。特にソ連については、終戦の一週間前に攻
続きを読む北京放送の受信報告書を書いた日のことはよく覚えています。毛沢東主席逝去の報を聞き、今日はやっぱり北京放送だよなー、と放送内容をメモしながら一生懸命聞きました。細かいことは覚えていませんが、やっぱりすごい人物だったんだ
続きを読む子供の頃、風邪で学校を休んだ日は、ラジオが友達でした。お年玉を貯めて買ったラジカセを枕元に置いて、TBSをつけっぱなしでしたね。 午前中は毒蝮のミュージックプレゼント。「このクソばばぁ!」なんて言うのにバカ笑いしたり
続きを読む大学に入ってから、予約タイマー付きのラジカセを買いました。ラジオ放送を録音しては、ウォークマンでそれを聞くのが日課でしたが、音楽を聴くより楽しみだったのが、カセットテープを「整理」することでした(笑) FM fanや
続きを読む私が小学校4年生ぐらいのとき,父が「子供の科学」を毎号家に持ってきてくれました。会社でもらってきていたらしいんですが,父が勤めていたのは写真現像用品などを扱う会社だったので,その関連性はいまだにわかりません。広告でも
続きを読む